恐ろしい時代の幕開けを飾った実験だったのですね。
使われる事が無いよう祈りたいです。
トリニティ実験(-じっけん、the Trinity test)とは1945年7月16日にアメリカで行なわれた人類最初の核実験である。この実験はアメリカ・ニューメキシコ州ソコロの南東48km(北緯33.675度、西経106.475度)の地点で行なわれた。実験場は現在ではアラモゴードに本部を持つアメリカ陸軍ホワイトサンズ・ミサイル実験場の一部となっている。トリニティ実験は爆縮型プルトニウム原子爆弾の爆発実験で、同型の爆弾が後に日本の長崎市に投下された。この実験による核爆発は約20キロトンの TNT の爆発と同規模のもので、この核実験を以ってしばしば「核の時代」の幕開けとされる。
核兵器の実現可能性を調べる研究はアメリカとイギリスによって1939年には開始されていたが、実際の開発が本格的に始まったのは、1942年に研究がアメリカ陸軍の権限の下に委譲されてマンハッタン計画となってからのことだった。マンハッタン計画の目的は核兵器の内部で起こる核分裂連鎖反応の源となる核分裂性物質を開発することと、核兵器自身の設計であった。この計画はニューメキシコ州のロスアラモス研究所で最高機密として進められた
1944年1月から1945年7月にかけて、核物質を生産する大規模な工場が稼動を続け、ここで生産された核物質が核兵器の特徴を決めるために用いられた。爆弾の設計で生じた問題について様々な角度から取り組むために多面的な研究体制がとられた。研究の初期には試験プラントや研究所の加速器で作られたごく微量のウラン235(濃縮ウラン)やプルトニウムを使って、兵器の設計に関する決定が行なわれた。これらの初期の研究から、核分裂性物質の小片を別の小片に撃ち込んで全体が臨界質量となるようにすれば爆弾を作るのは容易であると考えられた。
ウラン235の生産は当時の技術では非常に困難であることが明らかになったが、プルトニウムは専用に作られた原子炉の副産物として得られるために生産は比較的容易だった。このような原子炉は1942年になってようやくエンリコ・フェルミによって開発された。しかしこのような原子炉で作られる「原子炉級」プルトニウムは、サイクロトロンで作られるプルトニウムに比べて純度がかなり低いものだった。原子炉級プルトニウムにこうした別のプルトニウム同位体が含まれているということは、単純なガンタイプの爆弾ではうまく作動しないことを意味する。すなわちこれらの同位体が放出する余計な中性子によって爆弾が早期爆発(pre-detonate)してしまい、出力が大きく損なわれてしまう。1942年にこの問題が明らかになるとプルトニウム爆弾は再設計を迫られ、その結果、球形のプルトニウム・コアを通常爆薬によって圧縮し、プルトニウムの密度を上げて臨界に到達させるという爆縮(implosion)のアイデアが生まれた。
そこで問題は、プルトニウムの球体を全ての面から正確に等しい圧力で均等に圧縮するような仕掛けを作り出すことに移った。圧縮力に少しでも誤差があると、大事なプルトニウムが爆弾の外に放り出されてしまい、大規模な爆発を起こさず不発に終わってしまう。当時存在した技術で完璧な圧縮を実現するためにこの「爆縮レンズ」を作り出すのは困難を伴ったため、マンハッタン計画の軍の最高責任者であったレズリー・グローヴズと科学部門の責任者であったロバート・オッペンハイマーは、この爆弾を実戦で十分な信頼性を持って使用するためには、この起爆機構の実験を行なう必要があると考えた。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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